藤原鎌足像
Portrait of Fujiwara no Kamatari
3,500,000円国内販売価格
- 時代
- 室町時代
- 伝来
- 個人コレクション
- サイズ
- 高 900mm 幅 405mm(本紙)
- 付属品
- 二重箱(桐内箱/塗外箱)、太巻軸
室町時代に描かれた藤原鎌足像です。本図像には談山(たんざん)神社の祭神である藤原鎌足を中央に、向かって右側に長男の定慧(じょうえ)、左側には次男不比等(ふひと)という2人の息子が配され、鎌足の頭上には「金粟(こんぞく)如来」「文殊」「普賢」の本地仏を表す三面の神鏡が、また背景には社紋である下がり藤などが精緻な筆致で描かれています。
奈良の地において古代より神聖視されていた香久山から尾根つづきである多武峰へと信仰の意識が向けられたのは極めて自然ななりゆきだったのでしょう。かつて多武峰妙楽寺(とうのみねじょうらくじ)と呼ばれていた奈良の談山神社では、室町時代中期ごろに成立した多武峯縁起から藤原氏の祖である鎌足が神格化され、その子孫らが南都絵所(*1)へ注文し、当品のような三尊形式の図像がさかんに描かれてきました。鎌足の堂々とした威風や図像のダイナミックな構成、細部にわたる書き込みがまことに素晴らしく、このような図像は垂迹画のひとつであることから「多武峰曼荼羅図」とも呼ばれております。
センスよく配された古裂表具も本図像によく似合っており、本図像を格調高く荘厳しています。内箱の箱書は奈良国立博物館の名誉館員であられた光森正士氏(*2)によるもの。塗りの外箱、太巻等の次第も入念に調えられております。
(*1)
鎌倉時代以降に興福寺大乗院や一乗院に属した絵仏師組織。吐田座(はんだざ)や松南院座(しょうなみざ)、芝座(しばざ)の三座によって構成され、京都から下った絵師などが奈良に定着した。
仏画制作のほか仏像の彩色、堂内装飾にも従事し、院家から給料を貰い受けながら各院家末寺などの需要にも応じるも伝統的な画風の域を出ず、しだいに停滞していく。室町時代には上記三座に吐田助座(はんだすけざ)が加わり、制作受注の権利をめぐり各座が対抗しながら近世初期まで存続。
(*2)
1931(昭和6)年5月9日尼崎生まれ。龍谷大学大学院文学研究科博士課程在学中の64年7月奈良国立博物館学芸課工芸室文部技官となる。65年7月学芸課美術室に配属、以来彫刻を担当する。72年11月奈良国立博物館学芸課普及室長、77年4月学芸課美術室長、87年奈良国立博物館仏教美術資料研究センター仏教美術研究室長、91(平成3)年4月学芸課長、93年3月学芸課長を最後に奈良国立博物館を退官した。同年5月奈良国立博物館名誉館員。
学生時代以来親しく指導を受けた考古学者石田茂作の強い影響のもと、仏教美術を単なる机上や大学の教室における研究の対象としてのみとらえるのではなく、ほんらいの仏教儀礼実践の場にあるものとして見つめようとする姿勢を貫いた。その他、阿弥陀仏や仏教工芸に関する研究など個性ある成果を残し、また30年におよぶ奈良国立博物館学芸員として多くの展覧会を手がけた。
主な著作に『阿弥陀仏彫像』 (東京美術)、『山越阿弥陀図』(同朋舎出版)、『大和路かくれ寺かくれ仏』(講談社)、『日本の美術 241阿弥陀如来像』(至文堂)、『仏像彫刻の鑑賞基礎知識』(共著/至文堂)、『仏教美術論考』(法蔵館)がある。
出典:『日本美術年鑑』平成12年版(254頁)より抜粋






















