
粉引耳盃
Kohiki ear cup
900,000円国内販売価格
- 時代
- 朝鮮時代(15-16世紀)
- 伝来
- 個人コレクション
- サイズ
- 径 65mm、横巾 102mm、高 43mm
- 付属品
- 仕覆、柱、杉箱、風呂敷
宝城産の粉引(*1)耳盃です。もともと祭器であるため両耳が欠け金直しされておりますが、おもわず唸ってしまうのはそのサイズ。市井で散見される耳盃は口径10センチを超えるものが多い中、本作は6.5センチと酒盃として好適で、またサイズに比してアンバランスなほど雄渾な高台も見所のひとつです。
宝城粉引ならではのやわらかな白色が茶色や桃色に変色したさまは、長年愛好家の掌中で可愛がられ、酒を存分に吸い込んだ様子が窺えます。トロトロになった膚を愉しみながら一献傾ける時間は、なにごとにも換えがたい悦楽といえるでしょう。
(*1)
粉引の技法は「白への憧れ」で完成をみました。15世紀ごろ、王朝をはじめ官僚たちの高級食器である白磁を庶民は使うことを許されず、黒い土でどうにか白い器が作れないものかと工夫した結果が粉引でした(中国の磁州窯からヒントを得たという説が有力です)。
当時、朝鮮半島南部にある河東(ハドン)群周辺では良質なカオリン(陶石)を採取することができました。轆轤引きした器を水簸したカオリンに浸して天日干しし、その上から灰釉をかけて焼き上げたのが粉引の器です。最初は喜ばれた粉引ですが、使用するたびに水分油分が染みになり清廉な白をよろこんだ半島の人々に嫌われ短命に終わりました。しかし日本の茶人が粉引の染みに「侘び」を見出し、喜ばれたのはみなさま周知のことと存じます。名物茶碗の「楚白」「三好」「津田」はすべて宝城産です。