
平家物語の小督局(こごうのつぼね *1)を題材にした蒔絵錫縁香合です。錫縁香合とは身分の高い女性のために注文製作された化粧箱の中に収まる小箱を香合として見立てたもので、慶長ごろから茶会で使用されたといわれております(本作のような丸い小箱は白粉容器として用いられました)。
室町期らしい甲盛の蓋部には、梨地を背景に平蒔絵で小督が姿をみせず琴を弾くさまが表現されており、きわめて日本的で静かな情感をたたえております。本体の状態もすこぶるよく、後描きや補修もなく傷みやすい合口の錫もオリジナルのまま。十五夜の風情がちいさな器物に凝縮した、蒔絵錫縁香合の優品といえるでしょう。
(*1)
小督局のあらすじ
平家が権力を掌握していた平安時代、小督局は高倉院の寵愛を受けていましたが、高倉院の妻の父、平清盛の権勢を恐れて嵯峨野に身を隠します。高倉院は朝晩嘆き悲しみ小督局の行方を気にかけていましたが、小督が嵯峨野に隠棲しているという話を耳にした高倉院は、巨下の源仲国に小督の行方を探すよう命じます。
ちょうどその日は旧暦八月十五夜の日。小督は十五夜の明月に誘われて琴を弾くに違いないと考えた仲国は、馬を駆り嵯峨野を訪ね歩いたところ、法輪寺のあたりで琴の音を耳にします。その曲は思い出を懐かしみ弾く「想夫恋」でした。仲国はしばしば宮廷で小督の琴に合わせて笛を吹いたことがあり、小督の琴の音色を聴き分けることができましたので、これは小督の琴であることを確信し、その家に案内を乞います。
いよいよ仲国と対面した小督は複雑な心持ちでしたが、わざわざ自分を探しに来てくれた高倉院への感謝の心を示したのち、院への手紙を仲国に託して、彼を都に帰しました。
宝城産の粉引(*1)耳盃です。もともと祭器であるため両耳が欠け金直しされておりますが、刮目するのはそのサイズ。市井で散見される耳盃は口径10センチを超えるものが多い中、本作は6.5センチと酒盃として好適で、またサイズに比してアンバランスなほど雄渾な高台も見所のひとつです。
宝城粉引ならではのやわらかな白色が茶色や桃色に変色したさまは、長年愛好家の掌中で可愛がられ、酒を存分に吸い込んだ様子が窺えます。トロトロになった膚を愉しみながら一献傾ける時間は、なにごとにも換えがたい悦楽といえるでしょう。
(*1)
粉引の技法は「白への憧れ」で完成をみました。15世紀ごろ、王朝をはじめ官僚たちの高級食器である白磁を庶民は使うことを許されず、黒い土でどうにか白い器が作れないものかと工夫した結果が粉引でした(中国の磁州窯からヒントを得たという説が有力です)。
当時、朝鮮半島南部にある河東(ハドン)群周辺では良質なカオリン(陶石)を採取することができました。轆轤引きした器を水簸したカオリンに浸して天日干しし、その上から灰釉をかけて焼き上げたのが粉引の器です。最初は喜ばれた粉引ですが、使用するたびに水分油分が染みになり清廉な白をよろこんだ半島の人々に嫌われ短命に終わりました。しかし日本の茶人が粉引の染みに「侘び」を見出し、喜ばれたのはみなさま周知のことと存じます。名物茶碗の「楚白」「三好」「津田」はすべて宝城産です。